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Takashi Hayakawa

「遊ぶ環境」作りはまず身近な大人が 遊ぶことから ~2017年 第28回日本小児科医会総会フォーラムより~

抄   録

筆者は1983年富山県・八尾町の山里に民家を購入し,子どもが自由に遊べる場「子どもイタズラ村」を作った。 長年「イタズラ村」の運営に携わった筆者は,子どもが自由に遊べるようになるためには「大人(スタッフ)が真 剣に遊ぶこと」が重要であり,子どもたちは一緒に遊んでくれる大人に心を開き,素直に甘え,本音を明かすとい うことを学んだ。つまり,「一緒に遊ぶこと」により,基本的信頼関係が構築されるのだ。また,不登校や発達障 害などが多く発生する背景には,子どもとの間に「遊び関係の欠落」があると確信した。  筆者は,子どもの遊び環境の復活を願い,「NPO法人 富山・イタズラ村・子ども遊ばせ隊」を2004年に創設した。 デジタルな遊びが子どもの生活を席巻する中,親子関係や人間関係の希薄さやねじれによる「愛着関係」不全など, 育児環境の変化が「発達障害」に代表されるような子どもの精神病理に影響を与えているのではないかと考えるに 至った。  赤ちゃんは生まれて間もなくお母さんの気持ち=穏やかな情緒,晴れやかな気持ち,無表情や暗い気持ちまで= を敏感に感じ取る力が芽生える。親子の感情の交換作用で生まれる「間主観性」や「甘え」の環境が,子どもたち の安定した心を養い,外界への探索行為ができるようになる。不安定な交流が多くなれば赤ちゃんも,イライラし トゲトゲする。そうした子どもたちの「甘えたくても,甘えられない」心理状態が,「発達障害」と深く関わって いることも分かってきた。子どもは親や家族に甘えることにより,安心してありのままを出せるようになる。「間 主観性」や「甘え」こそが「安全基地」が形成していく。  赤ちゃんが「言葉」や「社会的参照」を獲得し,「9カ月革命」を成し遂げるために重要なことが「三項関係」だ。 三項の一項を「対象」から「遊び」と置き換えると,この難解な専門用語が,身近な親や保育士の育児行為として 見えてくる。しかし,「遊び」が若い世代に伝承されていない中,大人が子どもと遊べる「力」を養う必要がある。 そこで,筆者はNPOの事業として,「遊びのワークショップ付き講演」を提案し実施している。大人の「遊び力」 を呼び覚ます遊びが「皿回し遊び」だ。大人も夢中になって遊べる皿回し遊び。それによって生まれる「感性」が 「子ども力」だ。子どもと一緒に遊べるようになると,大人自身も日頃の仕事の疲れが癒される。また,子どもが かかえている「悩み」や「苦しみ」の中身が感じ取れたりするようになる。そうなれば,子どもは大人に信頼を寄 せるようになり,一方で大人は子どもが抱える問題の糸口が見えて来るようになるだろう。  子どもと一緒に遊べる親や保育士(教師)が,「発達障害」や「不登校」や「いじめ」などの課題を抱える子ど もに向き合い,よい結果を生みだしてきた。

キーワード:大人が子どもと遊ぶ,遊び力,子ども力,三項関係,安全基地,皿回し遊びワークショップ

Ⅰ.「遊び力・子ども力」の発想と根拠

いじめ,不登校,虐待,発達障害,犯罪……。子ど もたちの不幸は日々の暮らしから「遊び」がなくなっ たことから始まっている。親とのじゃれつきや仲間と のイタズラ,そして地域での交流体験が,子どもたち の生きぬくための力の源泉となっていた。それらをこ とごとく奪われてしまった子どもたちは根っこも生や せず社会に浮遊しているかのように筆者には映る。 スーパーでお菓子をねだって暴れる子,通学路を朝10 時過ぎにとぼとぼと学校に向かう小学生,電車の中で スマホを離さない高校生……。この子どもたちは5年 後どのようになるのだろう。果たして彼らはしっかり とした大人になれるのだろうか?不安が走る。元気な 姿で遊ぶ子どもを見ていてすら,彼らの未来を思うと, 恐ろしくなることがある。  筆者は「大人こそが『遊び力』と『子ども力』が必 要だ!」と常々訴える。多くの人々は「えっ 何で?」 と反応する。「なぜ大人になってからも遊ばなくては いけないの」ということだろう。筆者が言いたいのは, 大人になった心身にも「子ども性(子どもらしさ)」 は存在するし,それを呼び覚ますことで,今の子ども たちの危機を救うことができないかと考える。その根 拠についていくつかの観点から述べる。

(1)「子どもらしさ」の回復と「少年時代」の蘇り

佐伯ゆたかは「なぜ,今,幼・保・小の連携か〜「子 どもらしさ」の回復〜」でアーウィン・シンガーの「心 理療法の鍵概念」(誠心書房 櫨幹八郎訳 1976年) を引用し,「子どもらしさ」について言及している。「子 どもらしさ(childlikeness)」はいわゆる「子どもっ ぽさ(childishness)」(思慮が浅く,衝動的で,自分 勝手で,他人への配慮がないなど)ではないと前置き し,アーウィン・シンガーの考える「子どもらしさ」 とは,「精神的に健康で安定した人間の特性として, ①物事へ熱中,②不確実さに進んで挑戦する,③世界 の不思議さへの驚きを受け入れる,④矛盾や葛藤を多 様な発想で乗り越える,⑤他者の言葉をまっすぐに聞 く などの性質」と紹介している。  続けて,佐伯は「このような「子どもらしさ」は子 どもの「遊び」の中でよく見られるものである。しか し,小学校に入り,中学校に進学するころから衰え始 め,高校・大学へと進むにつれてほとんど見られなく なってしまう。(中略)しかし,ごくわずかな『オトナ』 が,『年齢に関係なく』その『特性』を持ち続けるこ とができる。NHK番組の『プロジェクトX』で取り上 げられるような『地上の星』たちの生きざまは,子ど ものような純粋な探求心に溢れたものであると言えよ う。恐らく,彼ら,彼女らは,あらゆる困難にもかか わらず『おもしろがって』没頭し,自らの理想や目標 の実現に向けて『放っておくわけにいかないこと』に 取り組み続けたに違いない。」と述べ,『年齢に関係』 なく「子どもらしさ」を生涯に亘り持ち続けられるよ うに,子どもを育てることが重要だと説く。  ベストセラーとなった「ハリーポッターと賢者の石」 を翻訳した松岡佑子は,読売新聞のコラム「子どもの 領分」で,「心の芯に残る『少年時代』」と題し,こう 書いている。「そのとき私はロンドンの小さなホテル の一室に座っていた。三十余年連れ添った夫を失い, 借金を抱えた小出版社を引き継いで一年。同時通訳者 として頑とした基盤を築いてはいたが,出版人として も,翻訳者としても経験のない素人だった。その私が, 無名の新人,J・K・ローリングが書いた魔法使いの 本の虜になった。『生き残った男の子,ハリーポッター に乾杯!』ここまで読み進んだとき,体中に震えが走っ た。少女のころに味わったあのワクワクする空想の世 界が一度に蘇って来た。一晩で一気に読み,私がこの 本を翻訳する運命なのだと感じた。そして,次の朝に は著者の代理人と版権交渉を始めていた。私を突き動 かし,力を与えてくれたものは,子どものときと同じ 「素直な感動」だった。  人は心の芯に子どもの心を残しながら成長してい く。そして,その芯が,ときには強いエネルギーを発 する。(中略)子どものときを振り返ると,子どもの ときにもっていた素晴らしい力に気付く。そして,大 人になって見失っていたものに気づく。夢を見る心, ひたむきに没頭する力,感動する心。大人の心の芯に 残っている『子ども』が,ときとして大人を突き動か す。」  佐伯は大人になるにつれて「子どもらしさ」は消滅 するといい,松岡は「子ども」は心の芯に残っている という。しかし,どちらも内なる「子ども」が大事だ ということを主張している。  大人が「皿回し遊び」という「ワークショップ」に 出会い実践しながら,大人の身体と心に「遊び力」を 培い,子ども時代の記憶を蘇らせる。そして,「子ど もらしさ」=「子ども力」も取りもどすことができる。 これが,筆者の考える「遊び力」と「子ども力」とい う実践的概念である。

(2)‌「じゃれつき遊び」の発見〜抱っことこちょこちょ 遊びの威力〜

筆者が「子どもイタズラ村」(1983年〜2008年)で 実践した遊びの中でとても印象に残っているのは,スタッフと子どもたちが,部屋に布団を敷き詰めた「リ ング」で闘う「プロレスごっこ」である。とっ組み合 い,けり合い,投げ合う。子どもたちは夜になると「プ ロレスごっこやろうよー」と,この遊びをせがんだ。 夏や冬などの長期休み中の合宿での遊びの定番。とて も荒っぽい遊びだったが,遊びが終わると,子どもも スタッフも日常で抱える重荷を吹っ飛ばしたかのよう に,晴れやかな表情をしていた。(※「明日の遊び考」 早川たかし著 久山社刊)筆者が「じゃれつき遊び」 を重視する背景にはこの体験がある。  「じゃれつき遊び」は,今から30年前から「さつき 幼稚園」(宇都宮市)で,朝の30分間,園長をはじめ 保育士,子ども,お母さんが入り交じって行われてき た。創立当初は園庭で「冷水まさつ」を実施してきた。 しかし,寒さが厳しくなる11月ころになると嫌がって 服を脱がないのだ。そこで,室内で先生が大はしゃぎ しながら子どもを追いかけ回したり,飛びついて来る 子を抱き上げたり,おんぶするなどの「じゃれつき遊 び」を始めた。当初は,「冷水まさつ」の準備運動の ようなもので10分間行った。「じゃれつき遊び」を始 めると,子どもたちの中に様々な良い変化が現れたの だ。礼拝のときのおしゃべりがなくなったり,イライ ラする子やすぐキレる子どもが落ち着いてきたり,課 題に集中できるようになったりしたのだ。その後,厚 いマットレスや毛布などの補助用具を取り入れ,園長 や理事長がガキ大将になって走り回る朝30分間の今の 形になったという。  これはNHKの「クローズアップ現代」で紹介された。 筆者は「イタズラ村のプロレスごっこと同じだ」と感 動した。園長は「じゃれつき遊びをすると,すぐにキ レる子や活気のない子どもが,目がキラキラし元気に なる。」と,実践の成果を述べていた。「じゃれつき遊 び」は,「脳をきたえるじゃれつき遊び」(学研 園長・ 野尻ヒデ 理事長・井上高光 正木健雄著)で,実践 のまとめが行われ,理論化されている。  身体心理学や健康心理学を研究している山口創氏 (桜美林大学教授)は臨床発達心理士として,親や保 育士からの子どもに関する相談にもかかわる。氏は多 くの調査や相談を受けた内容から,肌と肌の触れあい や皮膚を通して感じる様々な刺激こそが,子どもの心 や身体の育ちに必要だと唱える。著書「脳は抱っこで 育つ」(廣済堂出版)の中に書かれた興味深い研究を 紹介している。  「160名の高校生と保護者に協力してもらい,衝動的 に攻撃しやすい傾向と乳児期のスキンシップとを調査 しました。結果は予想通り,乳児期にスキンシップの 足りなかった子どもは高校生になって衝動的に他者を 攻撃しやすい傾向が高いことが分かりました。(略) アメリカの心理学者であるジェームズ・プレスコット も多くの非行少年たちへの調査から『身体への触れあ いの不足は,抑鬱や自閉的な行動,多動,暴力,攻撃, 性的逸脱などの原因になる。(略)』」  紹介した2冊の本に共通した思いがある。「脳をき たえるじゃれつき遊び」には,「じゃれつき遊びの基 本」,「脳は抱っこで育つ」では,「やってみよう 遊 びながらのスキンシップ」というカット入りの遊び方 の例が載っている。それらの本に書かれた思いは,「日 常の生活の中で,親子で遊ぶことは,誰でも身体ひと つと気持ちがあれば簡単にできる!」ということだ。 そして,一緒に遊べば,子どもたちに確実な変化が起 きるということだ。

(3)‌「かわいがりずむ」〜一緒に遊ぶと分かる,見え てくる子どもの心〜

筆者は,子育ての情報が氾濫する中,創設した NPOの指針を分かりやすく説明するために「かわい がりずむ」という造語を考えた。「かわいがりずむの 子育て支援」。これは慶応大学医学部小児科教室・児 童精神科医・渡辺久子氏が筆者の活動への応援メッ セージに挿入されていた一文「まず,療育者である者 (大人)が,子どもを『かわいい』と思えるようにな ることから,発達の糸口は見えてくる。」から考えた。 学術用語でもなんでもない「かわいい」という子ども を愛おしむ日本語。では,子どもがかわいいと素直に 思えるようになるには?筆者も子育てに悩む親の相談 にのってきた。相談を求めて来る子どもたちは,わざ と大人の精神を逆なでするような言動をすることが多 い。そのような場合でも,その子を「かわいい」と思 えるようになることが,「かわいがりずむ」だ。「子ど もイタズラ村」での実践から,筆者にもこれならでき ると思いついたことは,「一緒に遊ぶ」こと。面白く, 楽しそうに一緒にただ無心に遊ぶことだった。遊んで いると,遊ぶ表情から子どもの普段見せない一面を伺 い知ることができる。遊びが上手くできたときの喜び の表情,上手くできずに悔し涙を流したときの表情な ど,子どもらしさが表情になって表れる。そんなとき, 子どもを「かわいい」と心の底から思える,それが「か わいがりずむ」である。

Ⅱ.「一緒に遊ぶ=遊び力・子ども力」支援と 「三項関係」理論

次に,「一緒に遊ぶ」=「遊び力・子ども力」につ いて「三項関係」理論から,また,乳幼児の精神保健における臨床的課題と結びつけ,その意義について考 察する。 「一緒に遊ぶ」から解る「三項関係」、そして「間主観 性」・「甘え」・「安全基地」  三項関係とは,生後約9カ月以後の人の発達は「自 己(乳幼児)」と「他者(母親 養育者)」と「対象(モ ノ・状況)」の三者関係が成立し,それが豊かに多様 になることによって形成されていく。その行為例とし ては視線追従(大人が見た対象物を乳児も見る)や, 社会的参照(乳児がある対象や現象に対する評価を大 人の表情を見ることで参照にする。(社会的参照=ソー シャルレファレンシング)が見られる。もう一つ重要 な行為例に,他者とある対象を共有する「共同注意」 がある。このような発達過程は「9カ月革命」とも呼 ばれ,社会性・コミュニケーションの発達の重要な指 標になる。  学術書などには以下のように図式化されている。


この重要な発達が順調に行われるかそうでないかに 関わるのが「間主観性」や「甘え」や「安全基地」だ。  「間主観性」とは主観と主観の「間」,気持ちと気持 ちがつながっている性質。赤ちゃんは生まれ落ちたと きからこの「間主観性」を備え持つことが,世界の乳 幼児精神保健の研究から分かってきた。子どもが親や 周囲の大人への思いや感情(好きや嫌い,安心や不安, 快や不快)や,大人の行動や表情の動きから相手の主 観を感じ取り,自分なりの情動を返すことだ。大人が いつも安定した心持ちでおれば「共にいる」という情 動が生まれ,いつも不安や緊張した状況にあれば,子 どもにもその不協和音(不安・緊張・孤独)が伝わる。  「甘え」とは土居健郎によると日本語特有のことば で,その心理は日本人の心性を特徴づけ,依存しなけ れば生きることができない乳幼児が母親を求める気持 ちである。子どもが親の顔色を気にすることなく,安 心してありのままの自分を出せて,ほっとできる母子 関係が「甘え」。「甘え」が満ち足りていれば,心が安 定して自立できる。精神科医・小林隆司氏は自然な「甘 え」が成立しない場合,子どもの心の発達が歪んでい き,この歪んだ「甘え」の形の中に「発達障害」の本 質が見えるとの事例を発表している。  「安全基地」とはいざというときに頼ることができ, 守って貰える居場所であり,そこを安心のよりどころ とし,心の支えとすることができる存在だ。そして, 外の世界を探索するためのベースキャンプでもある。 危険が生じたときには,逃げ帰ってきて助けを求める ことができる。このことをメアリー・エインスワース は「安全基地」と呼んだ。  子どもの成長に欠かせない「三項関係」。その基盤 となる「安全基地」や「間主観性」や「甘え」。では, 「安全基地」や「間主観性」や「甘え」は,どのよう に形成されるのだろうか。「どのように」と問われると, 案外すぐに答られないのではないだろうか。筆者は, 「三項関係」の「項」の「対象」(「物体」)を「(一緒に) 遊び」に変えて考えるとよいのではないかと考える。





遊び視線で子どもの居る暮らしを見つめ直すと,「遊 び」はどこにでもあると分かる。 ⅰ. 朝起きたら布団の中でプロレスごっこやじゃれつき遊び。 ⅱ. 「台所は遊び場です」と発想を変えると,「お仕事」 が「遊び」に変わります。 「小麦粉をこねこね」や「野菜のおなかを切って 調べよう」 ※ 実は,子どもはお母さんと一緒のお手伝いが 大好きなのだ。 ⅲ.簡単に作れる「科学おもちゃ」で遊ぼう。 段ボールの空気砲,ヘロンのシャワー,ぎこぎこ プロペラ,……。 ⅳ. 手をつないで朝の散歩。近所を知ることは,社会 を知るための第一歩。 「一緒に遊ぶ」関係から描ける「安全基地」のイメー ジ図。





「一緒に遊ぶ」が生活に根付くと,「遊び」は「三項」 の単なる「一項」ではなく,また,時々に提供される 具体的な「遊び」でもない,何かあれば互いに響き合 う心の「共有世界」が形成されていく。それが「安全 基地」。  一緒に遊ぶ大人は子どもの表情や顔色を察すること ができるようになる。喜んだり,集中したり,不思議 がったりする子どもの顔をよく見ているからだ。「今 日は保育園で嫌なことがあったのかな」とか,「今は しっかり向き合わないといけないな」など,「間主観性」 がよく働くようになる。  一緒に遊べば,淋しくなれば,「ママ あそんでー」 と,自然に甘えることができる。甘えることが苦手だっ た子どもも,「あそんでー」だったら素直に言える。 遊び上手になれば,甘え上手にもなれる。  一緒に遊べば,子どもは一緒に遊ぶ大人へ信頼や尊 敬の気持ちを持つ。遊ぶ大人が好きになり,自然に愛 着感情を抱いていく。困ったときに「ねえ,私の話聞 いて…」と自然に悩みを打ち明けたり,「このひとが いるから……,しっかり生きよう!」というように「安 全基地」が形成されていく。  「三項関係」の一項を「遊び」と変えてみる。「三項関 係」という専門的な「発達心理学」がとても身近な「子育て」の現実世界に降りてくる。「なーんだ,難しく 考えなくても,一緒に遊ぶことなら私たちにもできる」 と考えられないだろうか。多くの大人たちが,このよ うに考えられるようになれる手だてが「遊び支援」だ

Ⅲ.「遊び力・子ども力支援」から生まれる   新しいナラティブ

(1)‌「子育て支援」の具体的内容として「遊び支援」 という分野の確立を!

子ども・子育て支援新制度」がスタートし,地域の ニーズに応じた多様な「子育て支援」の一層の充実が 課題となっている。「母子関係発達支援」,「家族支援」, 「一時保育支援」,「病児保育支援」,「子育て支援室」,「子 育て・まちづくり支援」,「家庭連携支援(連絡帳の活 用事例)」など確かに多岐にわたっている。しかし, 親や保育者や教育者への具体的な「遊び支援」という 観点からの支援がないのだ。  心理学者や子育て臨床の専門家たちは「プレイセラ ピー」や「絵画療法」,「抱っこ法」などの手法を生み 出して,確かに成果を上げて来ている。しかし,それ は筆者の考える「遊び支援」とは異なる。 日々子ど もと接している親・保育士・教師たちこそ,「遊び支援」 を行うべき立場にいることが見過ごされている。子ど もと「本気で」,「一緒に」遊べる大人になれるための 「遊び支援」が,今こそ必要だと私は考える。  しかし,子どもと密接にかかわる若い大人たちの多 くは「子どもと一緒に遊ぶことの楽しさを知らない」 という現実がある。「たかいたかい」や「いないいな いバー」や「おなべふ」や「おうまさんぱっかぱっか」 などの「遊び方」も知らない。「親になったら誰でも 子どもと遊べるようになる」と一般的に思われている が,これは間違いだ。若い世代に意識的に「遊び」を しっかり伝承していかなければならない時代に突入し ているのだ。  筆者はこれまで,若い親や保育士,教員を対象に,「遊 びのワークショップ付き(子育て支援)講演」を500 回以上行ってきた。講演の中に,「皿回し遊び」や「サ ソリの標本」や「ふれあいマッサージ」など不思議で 奇抜な大人でも楽しめる「遊びのワークショップ」を 取り入れた。大人たちの心は子ども時代に戻り,子ど もと一緒に遊んで,遊ぶことの大切さを実感する。「講 演に参加すると,子どもと一緒に遊びたくなり,実際 に遊んでみると,子どもとの良好な関係が築かれ,子 どもが変化する」という感想をいただいてきた。この ように,「大人たちの子どもへの姿勢や向き合い方が 変わるように手助けする」ことこそ,筆者が提案する「遊び支援」である。  「遊び支援」とは,保育所や児童館内に設けられた「地 域支援室の親子遊び」の「空間」があるということで はない。そこで,「絵本の読み聞かせ」が行われるこ とでも,木のおもちゃの遊び方を教えてもらうことで もないのだ。  つまり,子どもたちが息づく暮らしの場(家庭,地 域,乳幼児施設,学校)で,子どもたちと関わる身近 な大人が「一緒に遊べる」ことが,子どもたちの健全 な成育に繋がる,ということを忘れてはいけない。

(2)心のケアとしての「遊び力・子ども力」 心を病む大学生の変化から〜生まれる新しいナ ラティブ〜

富山大学の学生A・Kさんのレポートは,筆者が「遊 び力・子ども力」支援の成果を考察し,成果を意味づ けるためにはなくてはならない事例となっている。  筆者は1999年より富山大学において総合科目「人権 と福祉」の講義を行っている。A・Kさんは2000年に 受講し以下のレポートを書いた。筆者はこの時点で, まだ「子ども力・遊び力」という考えはまとまっては いなかった。学生を講義に引きつけるための「パフォー マンス」として「皿回しワークショップ」を10分間ほ ど行っていただけだった。この無意識に行っていたパ フォーマンスの中に「子ども力・遊び力」の萌芽があっ たことが伺える。以下のレポートは2002年の講義で提 出されたA・Kさん(3年生 女性)が1コマ目の講 義の後に書いたものである。


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「遊ぶことの大切さを学んで」

講義中に皿回しをすると聞いたとき,一瞬耳を疑い ました。それに加え,教室内に見知った人がいない状 態で,『ペアを組んで』ということからも,最初は『あ あー面倒だなー』と思わざるを得ませんでした。しか し,皿と棒を手にしてみて,その思いはどこかへ吹き 飛んでいました。楽しかったのです。私もペアを組ん だ方も皿を完全に回すことはできませんでしたが,そ れでも何か,これまで忘れていた遊ぶことの楽しさを 思い出せた気がして,懐かしさと嬉しさとで,私は皿 回しの間中笑顔でいました。(中略)  私は幼い頃から中学生の頃まで何度も転校を繰り返 しており,中でも,小学校高学年・中学校に経験した 出来事を契機に神経症を発症してしまい,それからは, 心を許せる友達もおらず,大学入学とともに症状が悪 化してしまい,殆ど休学状態,そして現在は留年1年 目も半年にさしかかっています。ですから,正直なと ころ “遊ぶ” ということに対する想い出は,小学校中 学年からは持ち合わせてはいません。もうこの神経症 との付き合いも長いですし,仮に治ったとしても,下 ばかり向いて過ごしてきた時間は戻らない・自分はこ れからずっと空っぽのまま過ごしていくのだと,将来 に希望が持てないままでいましたし,その無気力さか ら何かに “心から感動する” 楽しいと思う,嬉しいと 思う,こういうこと自体ありませんでした。  でも,今回の講義でやった “遊び” 小学校のころ友 人たちとおもちゃを手作りして遊んだこと,駆け回っ たこと,笑い転げたこと,そういういう懐かしい想い 出がありありと浮かんできて,何かこみ上げてくるも のがあり,同時に,自分はまだ何かに感動できる心は 失っていないのだと少し安心し,これから生きていく 気力がわずかながら戻ってきたように感じます。今ま で自分がこれから生きていくべき長大な時間をどうし ようかと途方に暮れるばかりでしたが,今後はこの講 義での経験を生かし,前向きに立ち向かってゆこうと 思います。今回のこの講義を受講できて本当によかっ たです。

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以下レポートはA・Kさんが「人権と福祉」5コマ 目終了後に書いた文章である。彼女の心の変化が明瞭 に読みとれる。


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「最後の講義を聞いた感想」

今後,子どもと関わる(もしかしたら自分の子ども を育てる)機会もあるかもしれません。でも一連の講 義を通して,『子ども力』というものを知り,少し理 解を深めることができたと同時に,自分の中で色んな ことの整理の方向性が少しずつ見えてきたように思い ます。子どもとの関わり方にしても,自分の身の処し 方にしても,ここで文章に表すほど簡単ではないで しょう。でも,これから人と関わって生きていく上で, この講義で学んだこと,考えるきっかけを貰ったこと を大切にしてゆきたいと思います。短い期間でしたが ありがとうございました。

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考察 ①1コマ目の講義ではA・Kさんは,「一瞬耳を疑い ました」とあるように,最初は「講義室で皿回しなど 変」と思ったようだ。その後,「その思いはどこかへ 吹き飛んだ」,「これまで忘れていた遊ぶことの楽しさ」 と記述しているように,「皿回し」という遊び体験を「楽 しい」と受け入れた。その瞬間,A・Kさんの心の中 に「子ども」が甦った。またペアになった学生と一緒 に遊ぶことで,人に対する不信感(「心を許せる友達 もいない」)が払拭されたといって良いだろう。これ こそ「子ども力」が培われていく過程であると,筆者は考える。 ②A・Kさんは,皿回し遊びを楽しんだことで,子ど も時代を思い出した。A・Kさん以外にも,これまで の講義で多くの学生たちがA・Kさん同様,それまで の人生経験を赤裸々に語り始める。(悩みを持つ学生 の多くがそうである。父親からの虐待,貧困な家庭生 活 アルバイト漬けの日常,一家心中未遂など)講義 室で一緒に遊びを楽しむ私への「信頼感」が生まれ, 学生たちが心を開いてくれたからに違いない。 ③「これから生きていくべき長大な時間を,どうしよ うかと途方に暮れるばかり」だったA・Kさんは,し かし,5コマ目の講義の後では「今後,子どもと関わ る(もしかしたら自分の子どもを育てる)機会もある かもしれません。」,「自分の中で色んなことの整理の 方向性が少しずつ見えてきた」,というまでに変化し た。彼女の心の中では新しい「ナラティブ(物語)」 が描かれ始めていることが分かる。 ④「皿回しワークショップ」を共有することにより筆 者との信頼関係が成立して行く①〜③までの流れは, A・Kさんの心がケアされていく過程である。子ども たちも含め心のケアを必要とする人達は,専門家だけ ではなく,信頼できる身近な人にケアをしてもらいた いと思っている。「子ども力・遊び力」を身につけ, 皿回しをとことん遊べる人なら誰でもできる「皿回し 遊びケア」に可能性を感じる。

(3)悩める教師が学んだ「かわいがりずむ」

2007年夏,28歳の若き女教師H・Mさんがイタズラ 村合宿に参加した。富山県教育委員会が定める「6年 次研修」があるが,その一環で夏期休業期間中に「3 日間ボランティアをする」ことが定められている。そ の研修のひとつがNPO法人の活動のひとつである「子 どもイタズラ村親子合宿」であった。  H・Mさんはクラス運営で悩んでいたが,この研修 で「子ども力・遊び力」を身につけ,自身が変わりク ラス運営もうまくいくようになった。9月になり礼状 が届いた。「この合宿を体験し,教育観や人生観が変 わった」と書いてあった。その後,1年間,H・Mさ んは私達の企画する「遊び師養成講座」に足繁く通っ た。その頃のレポートである。


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昨年夏の子どもイタズラ村合宿と遊び師養成特別講 座「特別支援教育の現状を『子ども力』の観点から展 望する」(2008年3月2日)への参加,受講を通し,「自 分自身が楽しむこと」,「どの子どもにも “かわいがり ずむ” の精神で接すること」の大切さを学ばせて頂き ました。 遊酔亭の合宿(2007年8月1泊)では,初め,子ど もたちをサポートしようと参加したつもりが,自分自 身が一番川遊びや料理作り,薪割り,皿回し,コマ回 し等,童心に返り,楽しんでいました。教師になって から,大学を卒業したての頃は,よく休み時間ごとに 子どもと遊んでいましたが,最近では,色々な事務や 雑務に毎日追われ,低学年をよく受け持っている私は, 連絡帳等のお返事書き等も多く,子どもに「遊ぼう」 と言われても「今日はゴメンね」と断ることの方が多 くなっていました。しかし,昨年(合宿後)の二学期 からは,自分が楽しむために子どもたちと遊ぼうと決 めました。  二学期になり,皿回しをクラスに3セット持ってい き,休み時間,自由に使うことができるようにしまし た。(もちろん,夏休み中に中級の皿回しができるよ うに猛特訓しました…)らくらく皿回しをする姿を披 露した私に,子どもたちから「すごい〜!!!」の歓声。 ちょっと優越感にひたりながら,私も休み時間,子ど もたちと共に皿回しをして遊ぶようになりました。す ると,たくさんの子どもが行列を作るようになり,子 どもたちの間で「1分」で交代するというルールを自 分たちで決め,タイマーを使って仲良く交代する姿が 自然発生しました。  そして,それまでいつも一人ぼっち気味で人との関 わりも苦手だったA君も皿回しに熱中するようにな り,皿回しがきっかけで友だちとの関わりが増え,友 だちにやり方を教えるまでになりました。A君は自分 用の皿回しセットを購入し,家でも練習をしていたの です。一人技ができたら,二人でキャッチ,二人出来 たら三人で,というようにA君は自然と息を合わせて 友だちと活動することが出来るようになっていきまし た。皿回しが子ども同士の関わり合う場作りになって 嬉しく思いました。 皿回しだけでなく,けん玉やディ アボロ,独楽,ハブのおもちゃを,クラスにもってい き,共に遊び,笑顔がお互い増してきたように思いま す。  特別支援講座では,早川先生のお話の中で「教師の “愛”(「かわいがりずむ」)が大切。“指導” ではダメ」 という言葉が心に残りました。教師になってそろそろ 10年,毎年いろんな個性を持った子どもたちに出会い ました。ADHD,アスペルガー傾向を持つ子どもに 出会うたび,どんな指導をすればこの子どもたちは過 ごしやすくなるのかと,いろんな専門書を読み,こう いう個性のあるからこういう支援をしよう,とスキル 的に動いていた時期もありました。しかし,講座の当 日配付 資料の中の「特別扱いはいけない」「指導ではダメ!」という手書きの言葉に,最近自分もつくづく そうだなあ,と思うようになりました。今まで「この 子はADHD傾向だから」と自分の中で勝手に診断名 をつけ,そうすることで安心してしまっていた己を反 省しています。どんな個性をもった子どもでも,特別 扱いしないで,その子をまるがかえで好きになり,か わいがることが大切なのではないかと思うようになっ てきました。みんなにあわせることが難しい子どもが おり,初めは自分自身がその子に過剰な事前の声かけ や安心できるサポートをしていたことがあったけれ ど,心を鬼にしてみんなと同じことが出来るように厳 しくし,「あなたはみんなと同じなんだよ」と伝える ようにしたら,その子に私の心が伝わったのか,援助 もいらなくなるくらい変わった子がいました。ただ優 しくするだけではなく,特別扱いせず,みんなと同じ ように接する「かわいがりずむ」の精神でこれからも いければと思います。  早川先生の講座や合宿の後,子どもとくすぐりごっ こやじゃれあいを楽しめるようになり「かわいがりず む」精神で子どもに接することが出来るようになった と思います。貴重な体験を与えてくださった早川先生, 奥様,スタッフの方々,本当にありがとうございました。


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考察  2007年新学期がはじまった9月初旬,筆者はH・M さんが勤務するN小学校の校長先生に電話をかけた。 「1学期はクラス運営が上手くいかず大変そうだった けれど,今は毎日そのクラスに顔を出したくなる位, 楽しいクラスになっています。ありがとうございまし た。」と御礼のことばを聞くことができた。  このレポートは彼女が産休に入る前の2008年3月末 に提出していただいた。イタズラ村合宿を体験し「遊 び師養成講座」で学んだ成果がこの実践である。この 実践は典型的な「遊び力・子ども力」という考えに基 づいたものだ。名人芸という授業でなくても「子ども 力・遊び力」を学んで身につけることができれば誰で もができる教育実践である。  前述したように「かわいがりずむ」とは筆者の造語 である。「かわいいと思う」気持ちは人間的に奥深い もの。子どもが「かわいい」と思えるようになるには どうすればよいのか,その時以来考えてきた。NPO を創設して,「指導」するという立場から退いて,「遊 ぶ」ことを基軸にゆったり活動する中で見えてきたの である。その答えは「子どもイタズラ村」でたっぷり 子どもと遊んでいるときに感じることができた「かわ いさ」の情景にあった。子どもたちが遊んでいるとき に見せるイタズラっぽい目,けんかしている時の顔悔しくて流す涙,嬉しくて見せた笑顔…。大人が子ど もと一緒に遊んで,子どもの「かわいさ」を引き出せ ば良いんだ…。H・Mさんはまさにイタズラ村の門を 叩き,「一緒に遊ぶ」体験することで「かわいがりずむ」 の精神を学んだ。「発達障害」と呼ばれる子どもたち を教育現場では,マニュアル通りに子どもを操作する 「行動主義的」指導や,「薬漬け」医療との連携が横行 している。H・Mさんような子どもに寄り添う教師の 手による身近な人による「ケア」が必要とされる時代 なのだ。

(4)「遊び力・子ども力」支援で家族が変わる

「遊びのワークショップ付き子育て支援講演」を聴 いたお母さんたちのレポートだ。親が子どもと一緒に 遊ぶことで子どもはあっという間に変身し,家庭が変 わる。一人ひとりが優しくなれる。


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□父と娘は抱き合って喜ぶ

内容の充実した講演で参加してよかったです。皿を 買って家に帰ると,小学1年生の娘は興味を持ってや り始め15分くらいでできるようになりました。夜に父 が帰ってきたので,娘は自慢げに見せようとしたので すが,どうしても上手く回らず侮しくて泣き出してし まいました。家族全員で応援して見守りました。焦り でなかなか成功せず,それでも真剣に回そうとする姿 に感動しました。そして,30分後にようやく回すこと ができました。父と娘は抱き合って喜びました。今後 も子どもと向き合って,子育てをがんばっていきたい と思いました。

□親子遊びのレッスンで胸がいっぱいに

大変心に残る講演をありがとうございました。一番 心を揺さぶられたのは,子どもを「赤ちゃんに戻らせ る」レッスンでした。ライトが消され,「今からみん な赤ちゃんになって良いよ」と先生が言われ,わが子 が生まれたばっかりの瞬間にタイムスリップしまし た。おっぱいをあげて,寝顔を1日中見ていても飽き ず,わが子を命のかたまりだなーと思って,幸せな気 分だった時代を思い出しました。ずいぶんでかくなっ たなー。何も変わらないのに,最近の私はいつも子ど もに怒ってばかりだなー。いろんなことが頭を巡って 胸がいっぱいになりました。子どもが赤ちゃんになっ て抱っこされる顔は本当に嬉しそうな表情でした。

□お父さんが変わった!

講演会には主人も参加させていただきました。私や 子どもよりも主人がとても変わりました。今までは, 子どもの遊びにただ付き合っているだけ,見ているだ けだったのが,一緒に笑い,楽しみ,みんなで遊べる ようになりました。仕事上ほとんど家を留守にしているのですが,一緒に遊ぶ時間が多くなって,自然と私 も子どもも笑顔でいる時間が多くなりました。たっぷ り子どもと遊ぶように心がけるようになったら,子ど もの方から,「ママがお片づけ終わってから遊ぼうね。」 と私を気遣うようなことを言ってくれるようになりま した。今までは家事をしようとしても,すぐに「早くー」 「こっちきてよ」とわざと家事をさせないように仕向 けるようなことばかり言って私を困らせていました が,不思議と子どもの方から家事をする時間を貰える ようになりました。

□主人が中級の皿を回せた!

主人が中級の皿を回せるようになったので,初級も 中級も買って帰りました。(略)中級が回せるように なった主人は子どもに自慢げに披露し,どちらが大人 で子どもかわからない位でした。そういう経験ができ たことで,子どもとの遊び方,子どもが遊びから得る 喜びや学びを見つけることができました。最近では子 どもが「お父さんと遊ぶの楽しい!」といって,私と 遊んでくれません。私も負けずに遊びにどんどん参加 していきたいです。私の実家に遊びに行ったときに, 皿回しで遊んだら,じいちゃんもばあちゃんもみんな が遊びの虜でした。この皿回しをきっかけに遊びの輪 が大きくなりました。今回は早川先生の講演を聴けて 本当によかったです。このような機会を作ってくだ さった幼稚園にも感謝です。ありがとうございました。

□母に抱っこしてもらった記憶がない私が…娘にも

(略)抱きしめられた記憶がない私は3人姉弟の一 番上で,弟たちに手がかかるため,仕方なかったのだ と思います。早川先生の講演を聞いて,私の娘との接 し方にハッとさせられました。私は一番上の娘に対し て,抱きしめるどころか,「○○手伝って!」とか「○ ○して!」と下の子の世話を頼んだり,大人と同等に 接し甘えさせていませんでした。(略)「おかあさん, ぼくは今日まだ一回も抱っこされてないよ」(富田富 士也・作)という言葉が娘の悲鳴のように感じ,涙が 出そうになりました。娘はまだ5歳。たくさんたくさ ん甘えたい年齢のはずです。これからは娘をもっと抱 きしめ,この先娘が困難にぶつかった時『お母さん苦 しいよ!』と素直にうち明けて貰えるような親子関係 を築きたいと思います。とても勉強になる講演会あり がとうございました。

□‌ ‌発達に悩んでばかり…自分を変えることから始めよ う!

子どもの発達に悩みのある私にとって,「親が変わ れば(遊べば)子どもが変わる」という先生の言葉は とてもよい励みになりました。ふさぎ込んでばかりいないで,まず抱っこしよう!身体を動かして笑い合お う!と思えるようになりました。主人とは喧曄も多 かったけれど,一日に一回主人を笑わせるぞ!三人で 笑おうと。悩むのは子どもが寝てから。発達の本を読 んでばかりいても,子どもに寄り添い見つめていなけ れば意味がありませんしね。機会があったら,また勉 強して変わりたいです。

‌ □‌ ‌‌発達障害ではないかと悩んでいたけれど遊び仲間が できて劇的変化!

小学1年生になったばかりの息子が,発達障害では ないかと言われ,涙の日々を過ごしました。(略)息 子を救ってくれたのは友だちでした。友だちと遊ぶと いう時間を作ってあげられず,家に閉じこめていたせ いで,息子ののびのびとした感情を潰していたのだと 思います。3年生になって,友だちがどんどん(強引 に?)来てくれるようになり劇的に変化しました。全 てが動き出したのがわかりました。夢中になって遊ぶ ことが,子どもの人間形成にどれだけ大切かその時気 付きました。講演会ではまだまだ育児を頭で考えてい たのですが,単純に,手をつないで膝に乗せて話す, 聞く,目を見る。これで良いのだと教わりました。こ れからの財産になりました。  追伸 私の弟(独身)が家に来る度に汗だくで遊ん でくれます。

□私の育児バロメータは,「ぎゅ一っ足りてる?」

わが家では,下の子が生まれてから,年長のお兄ちゃ んに「ぎゅ一っ足りてる?」と聞くようにしています。 すると,「たりてない!」といって,私の所へ飛び込 んでくるので,そのときは下の子に「今はお兄ちゃん の時間」,お兄ちゃんを抱きしめてあげます。しばら くすると満たされた顔で,自然に離れていきます。(略)

□友人の子どもが不登校になって考えたこと

先生のお話を聴いて,先生の本を読んで,あれを試 してみたいとか,話しをしたい,と何人かの子とその お母さんたちのことを思い浮かべました。この春入学 し,しばらくして学校に行けなくなった子がいます。 お母さんたちは目の前の大きな問題に思い悩んで,涙 混じりで話しました。自分の息子と同い年で,同じ幼 稚園やプールで過ごしてきた子たちです。学校はち がっても他人事とは思えませんし,いつか自分たちも 直面するかもしれません。そして,学校へ入学して一 番変わったことは何かと考えると,それは,遊び時間 が減ったことだと思います。(略…)学校の中でも家 庭でも遊び時間がなくなっている実態があり,これで は子どもの心の電池がきれて不登校になるのも当然だ と思います。わが家ではどんなことでも遊びになると考え実践し ています。「せんたくものたたみたい」と3歳の息子 が言いました。「あら,お手伝いしてくれるの?あり がとう」と言いながら,息子の表情を見てハッとしま した。息子はそれをお手伝いだとは思っているわけで はないのです。「ママがやっていることを,ボクもやっ てみたい」だけなのです。(略)一緒にやっているう ちに息子は洗濯物で遊び始めました。形の違うもので グループ分けしたり,積み上げたタオルの山を崩して 笑ったりしているのです。「仕事だって一緒に楽しめ ば遊びになる」と気づきました。仕事や家事に一日の 大半がとられる,何でも一緒に取り組んで,一緒に笑っ て,一緒に興奮して,一緒に遊ぶことを増やそう!先 生のお話のことや,私の思いを,家族や悩んでいる両 親,職場の人や友人,できるだけたくさんの人に伝え たいと思います。最後ですが,皿回し先生の笑顔の輪 がどんどん広がりますようにお祈りします。

□できないとかんしゃくを起こす息子が

家に帰るといつもテレビゲームを始める息子(6歳) に,皿を買って帰りました。何度やっても上手くいか ず,回せるようになるまで2時間位はかかりました。 もともと感情の激しい子ですが,泣きじゃくりながら, がんばっていました。回せるようになったときは晴れ やかな顔をしていました。何でもすぐにできないとか んしゃくを起こす彼ですが,何度も練習してやっとで きるようになるんだと,体感してくれたのではないか と思います。(翌日,また回せなくなり,怒って棒を折っ てしまいましたが,よい経験になったと思います。あ りがとうございます。)

□小学校5年生になってもだっこが大好き!

わが家には小5の息子がいます。昔から甘えん坊で す。夏休みに入ってから特に,私にくっついて来ます。 「ママはオレの充電器なんだぜ。今日は3点充電だ。」 といい,私に「手」と「足」と「頭」をくっつけて, 抱きついてきます。「これで30分充電完了」といって 終わります。私は身体も大きい息子がそうしてくると, ついつい「早く終わってよ」と少し嫌がっていました が,今日のお話しを伺って,これからも「ぎゅう!」 と抱っこをしてやろうと思います。

□子どもへの “怒り” を鎮めた “抱っこ”

怒らない子育てをしたいと思っています。しかし, 1週間に1回のペースで娘のわがままに対して怒りの コントロールができなくなり,言い過ぎてしまいます。 講演のあった日も家で,娘が何かがきっかけで憎まれ 口をたたき,あげくに弟を叩きました。私も怒りの感 情が湧いてきましたが,講演での先生の話を思いだし,とりあえず娘を抱き上げてぎゅっと抱きしめました。 すると,娘の表情が一瞬のうちに和らぎました。と同 時に自分の高ぶっていた感情も不思議に落ち着きまし た。抱っこするだけで,こんなに気持ちが楽になるの かと新しい発見でした。

□子どもと「一緒に」が大切なことに気付きました

私の子どもは言葉の発達が遅く,「集団生活をする ことで,いろんな刺激を受けて,早くおしゃべりでき るのではないか」と期待して,未満児さんのクラスか ら入園したものの,期待した程の成果はみられません でした。現在は幼稚園とは別に発達支援センターに通 い始めようかという所です。幼稚園や発達支援セン ターに頼るだけではなく,家庭で何かできることはな いかと考え,子どもが興味を持つことは積極的にやら せてはいるのですが,アイディアが思い浮かばなく なって,悩んでいるときに今回の講演を聞きました。 皿回しは,思いの外楽しくて童心に返った感じがしま した。「これを子どもと一緒にやれたら楽しいだろう な」と思いました。「子どもと一緒に親子で遊ぶ…と いうのは子どもにもの凄く刺激になるのではない か?」そう考えさせられた講演会でした。  後日,子どもと公園に行った時に,一緒にブランコ に乗りました。最初,1人で乗っていても楽しそうに していたのですが,「ママも」と私が隣のブランコに 乗ると凄く嬉しそうな顔をしました。それを見て,やっ ぱり “一緒に!” というのは大切なんだなと思いまし た。今までは,外で遊んでいる時は見ているだけ,ア パートに住んでいることもあってなるべく静かにして いないと…子どもと遊ぶ機会が少なかったのかなと, 思いました。今後は私も楽しく遊べるものを探して, 『子どもと一緒に遊ぶ』を増やしていきます。


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考察  「遊び」(一緒に遊ぶ)を三項関係の一項に変えてみ る!という筆者の提案が,様々な家族のナラティブを 作っていることが実証されていることが分かる。「遊 び」とは,「皿回し」であり,「赤ちゃん返り(レッス ン)」であり,「ぎゅっ」である。それぞれの家庭によっ て「遊び」は違うが,自然な形で「間主観性」や「甘 え」や「安全基地」が形成されている。「お父さんが 変わった」のナラティブの中には,素敵な「間主観的 交流」が描かれている。「ママ片付け終わったら…」 とママを気遣いする子どものけなげな心に感動する。 「抱きしめられた記憶がない私」では,子どもの「甘え」 の大切さに気づく母の愛に感動する。「友人の子ども が不登校になって考えたこと」には,地域の「安全基 地」になろうと実践するお母さんのナラティブがある。 「発達障害」,「虐待」,「不登校」などの困難な課題に, 母たち父たちの「遊びケア」が見られる。子どもたち は,「遊び」が暮らしの中心になり,家族が「安全基地」 になっていくことを望んでいるのに違いない。

おわりに

筆者には力強い「相棒」がいる。「皿回し」という「遊 び」である。今大会でも多くの先生方に楽しんで貰え たと思う。しかし,この「皿回し」は,よく「なぜ皿 回し?」,「他の遊びじゃダメなの?」,「(皿回しという) モノを使わない方法はないの…」と言う質問がたびた び寄せられ,答えに窮するときがある。今大会に参加 した赤平幸子氏(弘前市・城東こどもクリニック&病 児保育室「ことりの森」看護師長)に,そのことに言 及して感想を寄せていただいた。


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早川実践は,実は『モノ』が中心ではなく,イタズ ラおもちゃで遊ぶことによる,『ねらった笑いではな く,意識下にもない真の心の響き合い=間主観的交流』 が起こり,親しみのある温かな交流が始まるというこ となんだなと思ってしまいました。皿回しはきっかけ であり,しゃべるのが苦手な人でも,コミュニケーショ ンが不得意な人でも,本心からやっていて楽しい,『次 は回すぞ!,回ってね!』と思うと,その思いが,周 りに伝わって,見ている人も同じ気持ちになる。不思 議に一次主観性・二次主観性(トレヴァーセン(Trevarthen, c.)は,情動的な一体関係が成り立つ一次的 間主観性と,相手の意図を把握する二次的間主観性を 区別した。)が響き合っていることが観察していてよ く分かります。


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(※赤平氏は筆者の講演を何度か聞いており,今大会 では,周囲の人がどのようにワークショップを楽しんでいるかを「観察」する立場に徹しようと思っていた という。)  「皿回し遊びワークショップ」は,「皿を回す」とい う奇抜な行為にばかり視線が向きがちで,その本質が 理解されないこともある。「何で皿なんか回さなくて はいけないの」という大人としての(?)プライドか らくる拒否や違和感が,理解されない原因だと思う。  しかし,赤平氏は「皿回し遊びワークショップ」を 行う中で,「間主観的交流」が生まれると感じた。そ して,「心のケアに関わる」仕事をする人には「皿回 し遊びワークショップ」のような体験が必要だとも提 言している。一緒に遊ぶことで人との心の交流が行わ れ,関係性に変化が表れ,新しい関係ができる。そし て,ナラティブが生まれる。「皿回し遊びワークショッ プ」は,大人に「遊び力・子ども力」を蘇らせる最高 のツールであり,最高のシステムなのだ。  最後に,なぜ皿回しなのかについて触れる。「セレ ンディピティー」とは,簡単に言うと「偶然からモノ を見つけだす能力」ということになる。「大きな発見 は偶然から生まれる例が多い。それを見つける幸運を セレンディピティーと呼ぶ。チャンスは誰に対しても 平等で,セレンディピティーにできるかどうかは,注 意深く努力する精神と自然を謙虚に受け止めて考える 姿勢によると感じる。そんな人に女神が微笑むのでは ないか。」(日本経済新聞コラム)と書かれてあった。 筆者はこれまで40年間,子どもと遊び,「どこかに楽 しいおもちゃはないか?遊びはないか?」と,アンテ ナを張り巡らせて生きてきた。そこで発見したのが「皿 回し遊び」だ。これまで2万5千枚の皿を普及・販売 してきた。NPOの存続にとっては必須の要素である とともに,筆者にとって特別な相棒なのだ。

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